2017年8月29日火曜日

一緒に暮らしていたネコについて -その2-

前回「一緒に暮らしていたネコについて-その1-」の続きです。
飼っていたネコの病気と生活について書いている回です。
絵のことではないのでご了承ください。

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どの飼い主さんだった方も経験したことはあると思いますが、
ミサキが亡くなって時間がたった今でも、
まだ何となくそこらへんにいるようで鳴き声が聞こえる気がしたり
視界にチラッと気配を感じたりします。
7月に亡くなってから今までとても短くて長い長い時間のような気がします。
無性に抱っこしたい衝動に駆られると
いなくなったのをふと実感したりしますが、
最近ようやく写真の整理もし始めました。

うちに来たばっかりのちっちゃい頃のはやはり癒されます。。
家におむかえした日


さて、前回の続きです。
その2、その3ともに専門的かつ長文になるので
ご興味ある方はどうぞお付き合いください。
(前回「一緒に暮らしていたネコについて-その1-」はこちら

生後約半年でFIP(ネコ伝染性腹膜炎)の疑いだとして、
2015年の11月から中標津の病院へ通い始めたミサキは
食べる量も日に日に落ちていったので、
このころから毎日体重を計りはじめました。
通常の子ネコなら2.5kgはあっていいこの月齢で1.3kgしかありませんでした。

週2~4回の通院はインターフェロン注射とステロイドの投薬、
自力で水分補給できないくらいまで体力が落ちてしまったので
補液注射して脱水を防ぐこともしました。

12月になり、ほとんど飲まず食わずの状態が増え体重も減る一方だったので、
獣医さんにはあまり必要ないと言われたものの
黙って見ているわけにもいかず、
医療食に近い高栄養の缶詰をシリンジで強制給餌することにしました。
どんどん衰弱していくので、とにかく胃に何か入れないとという思いでした。
目にも瞬膜(目頭にある薄い膜)が出ていて表情もツラそうでしたが、
抱っこすると安心したような柔らかい顔になったのを思い出します。
(貧血や神経系に異常があったりすると瞬膜が出ることがあるそうです)

そして年末、大きな山場を迎えることになります。
私は埼玉へ帰省し、姉が面倒を見ていてくれたのですが
ほとんど寝たきりで強制給餌もやっとの思いで食べるような感じでした。
しかし年明けのある日、それまでの強制給餌の反動だったのか
食べさせたものを思い切り吐いてしまいました。
そこから、強制給餌させようとすると拒否反応でヨダレと鼻水が出てしまい
与えることができなくなりました。
衰弱しきってしまい、明日にでも息を引き取ってもおかしくない状態だと
羅臼の姉から電話があった時には本当に覚悟をしました。


そこから苦しいだろう強制給餌はやめ、
自力で食べることに任せ、ミサの生命力に願いを託しました。
一番やせていたとき


色んな人に心配してもらって、はげましの手紙ももらいました

年明け、私も羅臼に戻るとほとんど食べてないだろうに
少し遊ぶ元気が出たようで驚きました。
やはり人の気配が変わったりして、
精神的にストレスだったんだろうと思います。

強制給餌せず、注射と薬と補液の通院をしばらく続けましたが
体重は1022gまで落ち込みました。
ここまでくると何でもいいからとりあえず食べて欲しいと思い、
それまでしばらくあげていなかったドライフードを
ダメ元で手にのせて差し出すと、久々に新鮮だったのか
さすがに腹が減ったのかよろよろと食べ始めました。
おやつのスープも多少の水分補給になるならと与えてみると
これがけっこう食べるきっかけになったようでした。
とにかく祈るような気持ちで見守りました。

ここから少しずつ自力で食べるようになり、
たどたどしいけどなんとか人の後を付いてまわったり遊ぶ元気も出てきました。
ちなみに、雪を食べるのが大好きで玄関に人が出入りすると必ず催促し、
与えると一心不乱に食べていました。
エサもこのくらい食べてくれたらよかったのに。。

そこから数カ月ドライフード、水にふやかしたドライフード
お湯でやわらかくした缶詰(温めると匂いもたって食欲がわきます)など
少しずつ自力で食べ続け、3カ月たった4月には1.5kgまで戻りました。
もちろんその間も治療通院でしたが。

信じられないことにあれだけ衰弱していたのに
だんだん状態は良くなっていきました。
しかしやはり引っかかっていたのは、本当にFIPなのかということ。
どうしてここまで回復したのかも分かりませんでした。
当時の病院では、猫コロナウィルスの検査方法がないと言われ、
できることは注射と投薬で状態を維持することでした。

少し説明すると、猫コロナウイルスはどの猫にも多少あるウイルスです。
それが何かしらが原因で数が増え、変異するとFIPとして発症します。
そのウイルスの数が多いほど発症しやすくなるそうで、
この数を調べればFIPの可能性が高いかどうかがわかります。

このままだと先が見えないので、
体重が2kgまで増えた8月、中標津の別の病院で診てもらうことにしました。

絵を監督中(通称:にゃん督)

新しい病院で、病状と今までの経緯を話すと、
まず猫コロナウィルスの検査ができると告げられました。
今まで調べられる手立てがないと思っていたので、
拍子抜けしつつ早速検査をしてもらい、
出た結果は、標準値より少し多めのウィルスの数でした。
獣医さんによると、おそらくFIPを発症した後、
少しずつ減って今の数になったのではないかということでした。
発症したかどうかを調べられる方法は今のところなく、
もしくは帯広などの大きいところの病院で診てもらうかということだったので、
またしても予測の中で、引き続きインターフェロン注射と
ステロイド投薬の治療をしてもらうことになりました。

ただ、この頃の状態としてはまずまず良く、
ごはんもそこそこ食べ、子猫の時ほどではないにしても走ったり遊んだり、
骨と皮だけみたいだった時と比べるとだいぶ筋肉もついてきた様子でした。

しかし、小さい時から徐々に目立ち始めたのが後ろ左足の不自由さでした。
ちゃんと座ることができず、香箱座りも左足が伸びきって座ってしまいます。
旋回歩行もあり、ウンチはなぜかトイレで出来なくなりました。

(「一緒に暮らしていたネコについて-その3-」へ続きます)
足を縮めるのが苦痛なのか関節がのびきってしまう

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